藻塩の会について

県民の浜造成工事中に発見された古墳時代の製塩土器が、藻塩研究のきっかけに。

1982年、考古学の研究をしていた松浦宣秀さん(藻塩の会前代表)が蒲刈町南端にある沖浦海岸(現在の県民の浜)で遺跡分布調査をしていた時のことです。
浜辺で古墳時代前半の製塩土器の一片を採集しました。その周辺を調査してみると、畑の石垣に、製塩用の炉の敷石として使用された赤く焼けた平たい石が使われているのを見つけました。
この近くに製塩遺跡が存在したのではないかと考えた松浦さんは、1983年、沖浦海岸の造成工事に毎日足を運びました。ある日、工事現場に行ってみると、20〜30センチ大の粘土塊が多く散乱し、さらに、集水溝を掘っていたショベルカーが土器片をすくい上げたのです。ただちに工事を中止し、緊急発掘調査を開始。
その結果、この地がおよそ1600年前の古墳時代前半から鎌倉時代以降の製塩遺跡であることが判明したのです。さらにその後の調査で、縄文時代、弥生時代から近世に至る遺物が採集され、長期にわたって、生活が営まれていたということが明らかになりました。

製塩法解明までの道のりは長く・・・
ついにつきとめたその糸口は万葉集!

調査中、様々な専門家が現地を見学に訪れました。専門家から、古代土器製塩方はまだあまり解明されていないという話を聞きいた松浦さんは、発掘中に研究を進めることを決心します。専門家ですらわからない古代の塩づくり。もちろん文献もありません。手探りの中、ヒントを与えてくれたのは、なんと万葉集でした。
「・・・朝凪に 玉藻かかりつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ・・・」
こうして、玉藻という言葉から玉のついた藻、つまりホンダワラに辿りついたのです。
こうして、今度はホンダワラを利用した塩づくりに試行錯誤する日々がはじまりました。そんな松浦さんのもとへ1989年、ある女性が手伝いを申し出ます。何度か手伝ううちに、塩づくりを通して考古学へ携わることの面白さを感じ、何か自分たちでもできることはないかと、研究を進める上で必要な実験作業を手伝う「藻塩の会」が発足したのです。

会員の努力の結果注目を集める蒲刈の藻塩。
これからも、多くの人々に時代を超えたロマンを伝えます。

こうして何年もの歳月が流れ、確立できたのは、海水に浸したホンダワラを乾燥させるという工程を繰り返して塩分濃度を高めた「かん水」をつくり、土器で煮詰めて塩を採るというもの。この古代土器製塩法は、全国の考古学関係者や塩づくりの権威者を招いて開催された「古代の塩づくりシンポジウム」によって考古学会からも認められ、さらに大きな注目を集めました。藻塩の会は作業から得た経験を生かし、今では学生をはじめ、多くの人々に古代の塩づくりの体験をサポートしています。
そしてこれからも、松浦さんと藻塩の会の時代を超えたロマンの旅は続きます。